2013'11.20 (Wed)

外出してきました。

とてもとても疲れました。

自分の用よりも別のことにイライラしました。

疲れます。

外出が気晴らしにはならなくなりました。

しかもここでは、

相談できる病院すらないんです。

苦しい限り。

病院にすら頼れない

閉塞感がすさまじい。
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2013'11.16 (Sat)

ギャンブル依存症

「私はギャンブル依存症です。」

先日、会社法違反で逮捕された井川意高氏がそう発言したそうです。

その額なんと105億円!!!

55億円を無担保で子会社から借り入れたそうですが、

子会社の経営者は相当苦しんだでしょうね。

経営にお金を回せず子会社の経営はどうなってしまったのでしょうか?

破綻してもまったく不思議のない額です。

基本、このような依存症を治すためには、

借金を肩代わりしてもらったりせずに、「自力で返させる」

つまり「突き放すこと」が大切なのですが、

子会社が親会社経営者の要求を突き放せるはずもなく、

泣く泣くお金を用意するしかなかったのでしょう。

アルコール依存、ギャンブル依存症の人は、

家族に自分のしたことの尻拭いをしてもらいたがります。

そうして自分の責任から逃げおおせるのです。

ギャンブル依存であれば、家族や身内が借金の肩代わりに、

果ては娘を風俗に売ったりすることも、ありうること。

それだけ家族は地獄をみるのです。

だから、家族は本人一人に自分の借金の面倒をみさせるのがいいと思います。

会社をひとつの家族とたとえるなら、

親会社のトップがおかしくなったために

地獄をみた社員、子会社がどれだけたくさんあるだろう?と思います。

ここまで被害を出す前に止められなかったことが悔やまれます。

井川氏本人も、社員も会社法によって救われたのだと思います。

彼が捕まらなければ、彼の暴走は会社がつぶれるまで続いたでしょう。

そして大王製紙、関連会社の経営破たん、連鎖倒産が起こっていたでしょう。

そして多くの社員が路頭に迷っていたと思います。

そんなことにならなくて本当に良かったです。

でも、

105億円の損害を出した時点で被害は深刻なものです。

もっと早く何とかできなかったかと思います。

こうなる前に、こういった経営者が暴走できなくなるような、

そんな手段があればよかったのにと思います。

いずれにせよ、彼の底つきは刑務所の中で。

もう使うお金はありません。

どん底に落ちないと目が覚めないこの病気。

彼はまさに、どん底です。
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2013'11.11 (Mon)

イネーブラーというもの

アルコール依存症にはイネーブラーと言って、

必ずそれをさせている人たちがいるそうです。

良かれと思ってやっているのですが、

経済的や物質的に何らかの助けをしてしまい、

結果的にその人のアルコール依存症を治らないものにして、

早死にさせてしまう、そんな支援者がいます。

主婦など、キッチンドリンカーな人たちには、基本的に夫(お酒を飲める経済力がある環境をもらえる。)

西原さんの家庭の場合は、西原さん(働いていたので、経済力があった。)。

「でもアルコール依存症者に必要なのは、突き放すこと。

そのまま家にいたら、家族みんなが死ぬことになりかねないから。」

「アルコール依存症の人は理性の外だから、動物的な本能が効いて、一番弱い人を狙う。」

母にとってこれが、私だったのでしょう。

「依存している人に恨みがでる病気でもある。」

いちいち腑に落ちるところがありました。

もしも親がアルコール依存症である場合、

子供がイネーブラーだとわかったら、

子供が親を突き放すのも、大切なことだと思います。

私は欧米の文化を詳しく知っているわけではありませんが、

日本をはじめ、儒教の国ではこういった子供は非難されがちなのではないかと思っています。

ですが、

援助することで結果的に親殺しをすることになるのですから、

ガンガン離れていくべきなんじゃないかな。

ただし、これは治療する気がまったくない人に対して、なのであって

断酒をする努力を継続している人には、家族の共存はとてもプラスになります。

「底つき」をさせるために

子、ならぬ親を千尋の谷に突き落とすようなものなのだと思います。

ただし、谷底にたどり着くまでに当人が生きているか死んでいるかは本人次第、という

すごく悲しいものでもあります。

ですが、本人の意思がなければどうにもならないのです。
12:58  |  自分ヒストリー  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2013'11.07 (Thu)

「もっと早く見捨てていれば、長生きできたのに」

アルコール依存症の夫を見送った、西原さんの言葉です。

何とかがんばってしまって、

でもとうとう「鴨ちゃん、死んでください。」と離婚を決意、

それが底つきとなって、夫は断酒することになるのでした。

彼は42歳で死去、死因は腎臓がんでした。

「もっと早く見捨てていれば、もっと長生きできたのに。」と西原さん。

アルコール依存症の平均寿命は5X歳、生活習慣病にもなるし、自殺率も高い。

相当に厄介です。

西原さんのだんなさんは、本当に優しい人だったらしく、

「子供を傷つけずに済んだ。人として死ねることがうれしい。」

と最後に言っていたそうです。

私の家にこの鴨さんのケースは直接当てはまらないようには感じています。

ですが、

アルコール依存症において、家族は無力なのだとわかりました。

私は私の道を行く決意を新たにしました。

そして私のサポーターを見つけなくては。
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2013'11.06 (Wed)

飲めないお酒があることの幸せ

ジョー・バイデンアメリカ合衆国副大統領は、

禁酒家でもあります。

Wikipediaによると、

『近親者がアルコール依存症で苦しんでいたことから、禁酒家になった。』とのこと。

私は禁酒家ではありませんが、

飲めないお酒があります。

多分、ワイン、ビール、チューハイ以外のお酒は全部だめです。

全部戻してしまうんです。

日本酒、焼酎、ウィスキーなどの強いお酒はにおいも嫌いです。

においだけで正直、吐きそうになります。

それでも酔っちゃうと味がわからなくなるらしく、

一度、ワインでよっている中、ワインに焼酎混ぜられて、どえらいことになりました。

焼酎とかは、もう身体が受け付けないみたいです。

でも職業柄なのか、周りに酒豪が多く、

日本酒、焼酎、ウィスキーなども結構勧められることが多くて、

何とか少量飲むだけで済ませようと苦心しました。

飲めるお酒が少なかったのは、

私がアルコールに逃げなくて済んだ最大の理由だと思います。

大学1年目、強い不眠に苦しみました。

もともと眠るのは苦手でしたが、大学に入ってからひどくなりました。

それで、入眠剤がわりにアルコールに手を出していた時期があります。

ですが、

高校時代に出会った本

『自信を育てる心理学(How to raise your self-esteem)』などを

読んだりしていると、原因はやはりメンタルヘルスにあるように思えてきました。

お酒を飲んでも気持ちよく眠れるわけもないし、

そちらの方にかかってみるのがよいかと思いました。

家族は反対するかと思いましたが、

意外にも母が協力的で、知人の医師に頼んで、この方面での良い医師を紹介してもらいました。

父は、「行きたければいけばいい」といった感じでした。

今思えば父はこのとき、この問題に向き合うことを完全にやめてしまったと思います。

紹介された医師は、良い医師でした。

学部内で私の面倒を看てくれた教授も、大学のスクールカウンセラーの方たちもその名前を知ってました。

スクールカウンセラーは「その医師でなかったらあなたは助からなかったかもしれない。」と言いました。

この医師とのやり取りで、母との問題が表面化してしまい、

母は紹介してくれた医師を恨んでしまう展開になってしまうのですが、

なにはともあれ、私はお薬を飲むことで、眠れるようになり、

また投薬が必要になったことで、アルコールが飲めなくなり、

平和的にアルコール依存症発症の危機は回避されたのでした。

もしも誰か身内に、

「断酒が辛いから、家では禁酒して」って言われたら、

間違いなくできると思います。

仕事とかでできるかはなぞ、何ですが。

日本がお酒をもう少し断りやすい社会になるといいなって思います。

不眠の症状は、父はないです。母は昔からひどい不眠でした。

不眠の薬をたびたびもらってました。

ですが、不眠解消に、アルコールを使うことが多かったです。

何とかしようとしてしまったときがあるのですが、

この病気は、離れて、家族が自分を癒すほうが何よりも大切なのだとわかりました。

もう嵐に巻き込まれてはいけません。

巻き込まれれば巻き込まれるほど、深い憎しみが生まれることになると思います。

そして、私は私で、回復しなくてはいけません。

ブログに苦しみを吐き出して、心のケアに役立てる、と言うのはたくさんの人が行っていることですが、

医師に助けを求めることができず、

ブログに吐き出すことしかできない現状は正直異常事態です。

何とかして、信頼できる医師のところに行かなくてはと思います。
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2013'11.04 (Mon)

母の嫉妬、感情の嵐

私がうつになった原因は、

母と私の関係です。

母は私を自分の望むように

医者にしようとしました。

自分が病気をしたときに虐められたので、

私に医者になって見返すように、

毎日、毎日、言ってました。

私はというと、

医者に心からなりたいと思ったことはなく、

本音では別の道を行きたかったのですが、

高校時代、少しでも反抗すると、

「大学に行かせてやらない。」と言ってくる母。

大学に行きたいものだから、

母の言うなりになってました。

その一方で、母は私が自分よりも下の人間でなくては気に入らないので、

思春期、身体にコンプレックスを一番抱きやすいときに、

身体のパーツを毎日馬鹿にされていたことを覚えています。

大学に入っても、

帰省して一番にしなくてはいけないことは、

母の前で体重計に乗ること。

もちろん、ものすごく嫌でした。

でも、嫌だと拒絶すると母がものすごく荒れるので、

常に父から我慢するよう釘を刺されていました。

この家で、私は本当に嫌なことを拒否する権利が与えられてなかったな、とつくづく思います。

本当に苦しかった。

体重計に乗ったら乗ったで、

私の体重が母よりも軽ければとたんに不機嫌になって、

いろいろ食べさせられました。

母よりも太っていれば、母は上機嫌、

上機嫌で私のおでぶを馬鹿にしてきたものでした。

もちろん、こんな娘の不幸をあざ笑うような母親は嫌いでした。

でもずっと、逆らうことはできませんでした。

大学時代は逆らうと、「仕送りを止める。」とほぼ脅迫なことを言われてました。

父もこんなですので、

この家で苦しくないことなど、ほとんどなかったんです。

母は自分の体形や体重を異様に気にしていました。

それは母の姉、つまり私の叔母が、

執拗に母の外見をけなしてくる人間だったんです。

母の外見コンプレックスはそこに由来しているのでした。

かといって娘を

自分のコンプレックス解消のための道具にして良い訳ではありませんが。

それから大学に行ったときも、

母は「あんたばっかり行きたい所にいって」と言ってました。

医大に受からなかったこともけなしていました。

大学は行きたいところだったけれど、

学部は親が強制的に決めたところに行かされて、

どうしても興味が持てない勉強に、

そしてなれない新しい生活に苦しんでいるときにそれでした。

その数ヵ月後、私はうつの診断を受けるのですが、

母は私を仮病扱いして、相変わらず嫉妬やけなしの電話をかけてきました。

実家に帰らなくなってからは、

いざというときは訴えられるように、

母の電話の内容を友人に聞いてもらったり、証拠集めをしていました。

いざというときの離婚証と一緒で、

いざというときは訴えられると思っただけで、

気持ちが楽になったものでした。

非常に感情的で、理屈に合わない責められ方をしたな、とつくづく思います。

大学入学後のこと、

母と共に車で母の実家に行くことになりました。

ですが渋滞にぶつかり、時間通りに行くことができなくなりました。

すると母は急におびえ始め、

「遅刻したら、あんたのせいだから。」と言ってきたのです。

渋滞のせいでの遅刻すら、私のせいにするのか・・・。

むちゃくちゃですな。

そのときは、ちゃんと訂正して怒っておきました。

怒ることができるようになってました。

母の実家の人間は有無をいわさず母を責める人ですので、

母はおびえていたのですが、

かといって理不尽を許しても何もいいことがないので、

母の責めを「不当」として私は完全に却下したのでした。

母もかわいそうな人ですが、

気の毒に思って母の面倒をみようとしてみたら、

際限なく甘えてくる上に、

「死ね」だの、平気で言ってきます。

「家族によるカウンセリングはマイナス効果になることが多い。」というのは、

ここにあるのでしょう。

無理ですねー。

かといって、先日父に

「何もしなければ良かったのに。」とか言われたときは、

何度言っても状況改善のために何もしなかった父に、

そんなことを言う資格はないと思いましたが。

父が何もしなかったから状況がここまで悪化したということもあるのだから。

娘が殴られても傍観していたお前がいうなって感じです。

母のことを丸投げして私に押し付けていたように感じられるところも多々あります。

何か努力していたんだったらまだしも、

ただその日その日をやり過ごすだけで、

問題とまともに向かいあわなかった父に言われてもね。

父が何とかしなくてはいけなかったのですから。
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2013'11.01 (Fri)

回復までの流れ

うつから回復していった流れです。

まず、大学入学直後、非常に不安感などが強くなり、精神科を受診。

病院でうつ病と診断を受けました。

そして原因も探りながらの治療が開始されました。

先生の母との対応へのアドバイスは、

最初は母の娘への執着が強い共依存型の親子だと思っていたらしく、

そこそこ仲良くするように指導されていました。

けれど私が「酔っ払った母から電話がかかってくるたびに母から『死ね』っていわれるんです。」

って話したところ、

「え!?」って表情が変った。

そして母とは心の距離を置くようにといわれた。

そんなこんなで3年間ほどが過ぎた。

薬の量は相変わらず4種類、当初よりも軽めになっていたものの、だるくて苦しかった。

そして3年後の長期休みのとき、実家で事件は起きました。

その事件から、医師、スクールカウンセラーらの意見ががらりと変りました。

今まで、適度に家族と付き合うように指導していた治療者陣が、

一転して実家に帰省することに反対をし始めました。

そして実家帰省は私の「命を脅かす危険がある。」ということで、

「ドクター・ストップ」をかけられることになりました。

そして、1年後、

私の薬の量は、グッと減って、2種類ぐらいになったと思います。

そしてさらに1年たつと、薬は1種類になり、

その翌年には、もうほとんど服用しなくてもよくなりました。

カウンセラーは「あなたは実家に帰らないとどんどん具合がよくなっています。」と言ってました。

やはり、実家がストレス要因だったようでした。

そしてその後、資格をとった私は、

うつの既往を持ちながらも、

何とか社会に出て働く道を模索していました。

そのために院にも行ったりして。

しかしそこでまさかの事件がおこり、

現在に至ります。

そして以前のドクターの助けを得ることもできなくなりました。

何とかしたいです。
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