2017'04.07 (Fri)

たとふれば水かもしれず

以前、銀行から

「凍結口座に振り込まれたそちらの3万円、戻しておきましたよ。」

といった内容の通知が届いた。

どうも母が、犯罪まがいの口座にお金を振り込んだらしい。

その時の母の父への弁明は、

「愛情に飢えているから、

愛情をもらえそうなところにお金を入金してしまう。」

といったものだった。

そして、今も妙な恋愛詐欺メールに引っ掛かり続けている。

そうか、愛情に飢えているのか。

そんな母は20代の独身時代のとき、

母に「タバコは身体に良くないよ。」と注意してきた(母に思いを寄せていたと思われる)男性に対し、

かなりひどいことをした。

具体的に言えば、母はその男性の手にタバコを押しつけて、

タバコの火を消したのだ。

「大きなお世話だ。」といった気持ちもあったのだろうが、

愛情が欲しいの?愛情を与えてくれそうな人たちにひどいことをして。

本当に?

母は父や私が母の服を褒めても、

「嘘ばっかりついて。」と決して信じようとしなかった。

生まれた家で褒められたことがなかったことは本当みたいだけど、

それでも、やろうと思えば自己肯定感は自分で育てられたはずだと感じる。

ぶっちゃけ、母よりもひどい目に会って育った私でも、

自己肯定感を回復することは可能だったのだから。

(極論を言えば、独り暮らしをしていて家族がいなくても、自己肯定感回復は十分可能)

愛情と言うものが水のようであるのだとすれば、

愛情の受け手が口を開かなければ、

その水を飲ませることはできない。

そして愛情はきっと面倒なものだ。

責任や思いやりを必要とする。

鬱になって健康を失って、20代半ばの決定的な事件があってからというもの、

「愛情に飢えている母が幸せになるようにすれば、何とかなる。」といった考えは、

私の中から消え失せた。

「他の人たちが、私の気持ちをわかってくれないから悪い。」

「家族が、・・・・してくれないから悪い。だから私が不幸なんだ(いつまでも心満たされないんだ)。」

こんな発想をし続けている限り、

母の心が愛情で満たされることはないのだ。
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