2017'06.26 (Mon)

プール底の…

映画『卒業』の、
プール底に沈んだ、ダスティン・ホフマン。
「『彼の気持ちがわかる』と思った人は、
多分、うつ病かアパシーだろう。」って私は思う。
その映画を観たときの私は、
彼の気持ちがわかるように感じたのだ。

高校時代、私は自分のことを
「湖の底にいる」「海の底にいる」とか
そういった詩とも何とも言えないものを書いていた記憶がある。
何か常に、
深いところに沈んでいるような、
そんな気持ちを抱えていたのだ。
この映画を観て、
あのダスティン・ホフマンの気持ちがわかる気がしたとき、
「ああ、こんな気持ちになるのは、私だけじゃないんだ。」とホッとしたのを覚えている。
当時、理解者がいなくて私はかなり孤独だったのだ。

私がいつ、水底を出て、
息ができるようになったかは、
はっきりとは覚えていない。

でも、
「母との対立と決別なしに、できるようにはならなかった」ということはわかる。

いっつも窒息しそうだった。
母には、何も本音が言えなかった。
そして、どれだけ「嫌だ。」と言っても、
私の言葉は、いつも空気のように無視された。

母のことを「嫌い」というのも勇気が要った。
母と対立することは、
この家ではそれだけで制裁に値する。

実家に寄り付かなくなるのは、
もっと勇気が要った。
そのときは連日のように、「実家に帰って来なければ、仕送りを止める。」
といった電話が、かかって来た。
母は、「あなたが帰って来なかったことで、私がどんな気持ちになったと思っているの?」と言っていた。
「ひどいことを言ってごめんなさい。」とは言わなかった。
「死ね」と娘に言ってくることすら、
母にとっては「不幸な自分には仕方がないこと」で、
「娘が許すべきこと」なのだ。
小さい頃、
母にからかわれて傷ついて怒ったときも、
「それぐらいで怒るなんて、大袈裟な子やね。」と必ず言ってくる。
母は決して、私の感じ方を認めない。

実家に寄り付かなくなったのは、
ドクターストップがあったのと、
母の暴言に「身が持たない」と心底感じたせいもある。
あのときの私は、本当に命懸けだった。
「仕送りを止められたら、ホームレスになろう。」決心していた。
母の脅しが口だけではないことは、
私は身をもって知っていた。

家族からの説得を降りきるのは大変だった。
仕送りを止められなかったのは、
単に親の虚栄心を満たすようなところにいっていたからだと、私は思う。
「知は力」である。

このとき、
「本当に民主主義って、命懸けにならないと手に入らないんだな。」と
しみじみ思ったことを覚えている。

かくして私は、
まるで私の首根っこをおさえつけ、
窒息させる独裁者から、
自由を勝ち取ったような気持ちになっていた。

それにしても、
母の気持ちはまったくわからない。
あれほどひどい暴言を言っても、
「嫌われて当然。」とは思わない。
それどころか手元に置きたがる。
一体何のために手元に置きたいのか。
「自分をどこまでも受け入れる存在」にしたかったのか。

いずれにしても、
母の期待には答えられない。
母親の期待を裏切る道を選んだ24歳の私は、
プールの底から這い出して、
今自分で息をしている。

ああそうか、
きっと24歳だったんだな。
私が自分で息をし始めたのは。
きっとこの「支配からの『卒業』」が
必要だったんだ(*^^*)。
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