2015'12.04 (Fri)

フィクションの大切さ

先日購入したとある教材
そこにに書いてあった、
村上春樹さんの「壁と卵」のスピーチ。

感動しました。

「ノウハウだけ学べればいいや」
とCDなしの中古を購入したのですが、
感動しましたので、
「必ず暗記する」と
CDつきを、そのうち買うことを誓いました(つまり2度買いします。)

全文はこちら

特に印象に残ったのが、

「私は真実を一度フィクションの世界へと置き換え、
その後フィクションの世界から翻訳してくることによって、
隠された場所に潜む真実をおびき寄せ、
その尻尾を掴み取ろうとしているのです。」

というくだりです。

そうだったのか!!!

小説家は虚構の世界で、
ある一事実の真実を描き出そうとしていたのか!!!

そしてわかる気もしてしまいます。

私は私の生い立ちについて、
そして、私の親や祖父、曾祖父に至るまでの生い立ちを(わかる範囲内でだけど)、
そして江戸時代の身分とかもわかる範囲で調べました。
でも、私が「多分こうだったんだろうな」っていうのは私の想像にしかすぎません。
本人から話を聞けば、「違う」と言われてしまうかもしれない話、
つまり嘘かも知れないんです。
私の中での彼らのストーリーは虚構でしかありません。

でも、
「なぜそれが起こったのか。」「その根底には何があったのか。」という、
”真実のしっぽ”を私に掴ませてくれるかも知れないストーリーなのです。

これまで結構、小説を低く見ていたんだなあ、とちょっと反省。

そして、こんなくだりを思い出しました。

(小説家志望の女性についてのあるやり取り。)

一姫「大丈夫よ、あの人、必ず書くわ。」

二太郎「なんで?」

一姫「書かずにはいられない人だからよ。」

「自分にも見えない自分の姿を紙に書き、それをみてみたいとあがく人。」


小説家って、そういうものかもしれませんね。

自身の体験をストーリーにすることはセラピーにもなるし、
そういう意味で、今、私が自分の身に起こったことを物語調で何かに書きとめること、
フィクション形式で、自分の気持ちを整理するストーリーを書くことは意味があることなのかもしれません。
どっちみち、医師やセラピストらの助けが受けられない現状では、
執筆療法的なアプローチとして、こういうことをやってみるのは意味があるのではないかと、
そう考えています。
スポンサーサイト
10:33  |  未分類  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

Comment

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲TOP

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://kaihuku668.blog.fc2.com/tb.php/79-bb0183da

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲TOP

 | HOME |