2015'12.14 (Mon)

人間の不思議

部下と話し合って捕虜への暴力をしないことにした人間と、
母の希望をつぶしていった人間、
この二人の人間が祖父の中には棲んでいた(多重人格という意味ではないよ。)

祖父は太平洋戦争時代、
自身の捕虜の取り扱いについて部下と話し合い、
捕虜に暴力行為を行わないことにした。
そしてそれは機能して、
捕虜は暴力を受けなかったようで、
祖父は終戦時にイギリス人捕虜からピンク色の切符を貰った。
母の話によると、
祖父は軍事裁判でそれを見せたことで助かったのだそうだ(いつかこの切符の写真を撮らせてもらうか貸してもらうかして、軍事裁判記録を調べてみたい。)。

捕虜への暴力が防げた原因と私が思うことは、
祖父の話し合いの効果も大きいと思うのだけれど、その他にも

・祖父はココナッツテナガザルを手なづけて、ココナッツをとらせていたそうだ。それを部下たちにも配ったみたいなので、終戦直前の本国からの配給のない時期でも、部下は祖父の指示に従った。
・そのイギリス人(確か”J”から始まる名前だったような…)も動物が好きだったらしく、祖父と一緒にその猿たちの面倒を見ていたらしい。祖父と気があったことと、捕虜たちの食料確保に貢献できる人物だったのも大きかったのではないか。
という要素があるのではないかな?と思う。

確かに祖父の葬式の日に、
「自信のない自分をすごくほめてくれた」といったような主旨のことを言っていた人がいたと思うし、
祖父は気に入った人への面倒見は悪くない人だと思う。

ただ、家族への執着はとても強かったと思う。
ものすごい強いエネルギーを発している人だったし(社長だった)、
家族への影響力は甚大で、
祖父に逆らえる人はほとんどいなかったし、
反対しても、全く相手にされないのが常だった。
そういうところが、グレースケーリーのお父さんに似ていたのかも知れない、
母はグレースケリーの生い立ちには、びっくりするぐらい感情移入していた。

とにかく、自分の思い通りのコース以外は、
全部「駄目だ!」というタイプだったのだと思う。
母は子供のころこそ貧しかったものの、
成人するころには家はとても裕福になっていた。
留学させなかったのは金銭的なことが理由なんかじゃなく、
祖父の本当に強い、本当に驚くほど強い家族への執着がそうさせたのだと思う。
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